古文書を“楽しもう”
世話人 山本 幸俊
当会の事務局を花岡世話人に引継いだ。いろいろな意味で安堵感をもつ。越佐歴史資料調査会が結成されたのは平成9年5月17日である。この日、第一回目の世 話人会が新潟駅前の喫茶店でもたれた。そこで事務局を引き受け、かれこれ15年が経過する。それ以来、悪い癖で、思い入れ強くのめり込んできた。安塚での4部構成の報告会、守門での初めての被災資料調査やブックレット刊行、蔵光では集落の中(現地)の整理作業、その都度、力が入ってしまった。資料整理方法も「急げ、急げ」だった。このことへの自覚がなかったわけではなく、安塚から守門へ移る時も、守門から蔵光へ移る時も、「次は、もっとゆっくりやろうよ」 と世話人会で何回も確認してきたのだから。でも、このことは思いのほか根が深い。目の前の未整理資料を、いかに手早く目録化すること。私の世代以上が学生時代に叩き込まれた資料整理スタイルであり、「現状記録」などはなんのそのであった。世話人の多くはそうした先輩のもとで歴史学を学んできている。あるいは、その学生気分が当調査会の敷居を高くしているのかと反省する。
古文書は読むのも難しいが、その内容を一度目を通して十全に理解できることなど、よほどの達人でないかぎり難しい。しかし、荒い言い方をすれば、この段階で、目録化することは慣れてくると可能で、どんどん目録用紙を埋めていける。でも、考えてみれば質地証文1枚でも、1ヶ所程度は読みや意味が引っかかることがよくある。実はここに小さな歴史物語の始まることが多い。数百年ぶりに紐解かれた古文書のためにも、その小さな内容にこだわり、そこから浮かび上がってくる歴史ストーリを楽しく膨らませたい。そして、それを調査参加者が共有する。そのような資料整理スタイルはないものだろうか。目録用紙をやめ、大きめの整理カードにして、資料一点ごとの目録化情報(この部分は、これまで通り確実に記述する。)とは別に、気の付いた内容や疑問点を自由に書き込む。そこの記述は、気軽でよく、夕方の情報交換会でそれを報告し合い共有化する。資料所蔵者や地元の方に聞いていただき、伝承や自由な意見が加わることにより、ムラの先人たちの営みや努力が古文書と重なり現在によみがえる。遺された歴史資料より、地域の歩みをより深く具体的に、そしてリアルに知ることができれば、古文書への関心が高まり、地域の置かれてきた現状や、住民と住民が共有する新しい絆を確認することができる。歴史研究の何段階か前のことであろうが、その糸口が見つかるかもしれない。
現地の景観と風を感じ、地元の人たちが連綿と培ってきた生活に触れ、古文書と豊かな現地を融合させること。そんな現地主義の資料整理方法を越佐歴史資料調査会が提唱する。それにはまず調査合宿において古文書一点一点を丁寧に、深く、楽しむことである。
【付記】
世話人のリレーで綴ってきた末項のコラムは、一回りして今回は山本さんが担当されました。入院中の山本さんと入稿についてE-mailでやりとりした後、 原稿が送られてきました。山本さんが亡くなったのはその3日後、このコラムが遺稿となりました。山本さんの想いが綴られています。
山本幸俊さん、安らかに…。合掌。
―2012年8月、越佐歴史資料調査会会報より―